院長あいさつ
はじめまして、院長の酒井健(さかい たけし)です。
基山の地で医業を続けて100年以上、
私は4代目の院長となります。
院長・酒井からのご挨拶です。「再生時間2:26」
再生ボタンを押すと動画が始まります。(※音が出ますのでご注意ください)
ここでは、
私の医師としての経歴と、
診療に対する考え方(診療理念の基盤)ができるに至った経緯について説明します。
少し長くなりますが、当院の説明をする上では欠かせない箇所になりますので、ご容赦下さい。
院長プロフィール
2004年3月 | 久留米大学医学部医学科 卒 |
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同年5月~ | 独立行政法人国立病院機構 長崎医療センター(初期研修医) |
2006年4月~ | 同上(後期研修医:救命センター専属、各内科ローテーション) |
2007年11月~ | 長崎県離島医療圏組合 対馬いづはら病院(内科医員) |
2010年4月~ | 久留米大学附属病院 内科学講座 消化器内科部門 入局(助教) |
2012年11月~2015年6月 | 福岡県済生会二日市病院(消化器内科医員) |
2015年8月24日~ | さかい胃腸・内視鏡内科クリニック 院長就任 |
院長 専門医・資格各種
- 家庭医療専門医(日本プライマリ・ケア連合学会)
- プライマリ・ケア認定医(日本プライマリ・ケア連合学会)
- 内科認定医(日本内科学会)
- 胃腸科専門医(日本消化管学会)
- 消化器内視鏡専門医(日本消化器内視鏡学会)
- ピロリ菌感染症認定医(日本ヘリコバクター学会)
- 消化器病専門医(日本消化器病学会)
- 肝臓専門医(日本肝臓学会)
- 認定産業医(日本医師会)
診療理念(当院の診療に対する考え、その背景)
当院の診療理念
1医療サービス
常に最先端の技術・知識・医療機器を備え、「最高水準の内視鏡診療」を提供できるよう精進し、地域のみなさまに信頼されるよう努めます。
2患者さまサービス
医療従事者としての「プロ意識」を忘れず、患者さまの立場に立って親身に寄り添えるよう努めます。
3専門医療
内視鏡診療を中心とした消化器系の専門医として、幅広い「おなかの健康問題」の相談窓口になれるよう努めます。
4当院の存在意義
当院に関わるすべてのみなさまが豊かで幸福な人生を実現できるよう努めます。
患者さまはもちろん、当院で働く職員スタッフ、薬局スタッフ、出入りする関連業者・・・など、「当院に関わるすべての人々」に幸せになって頂くことが、最終的に患者さま、ひいてはこの地域のみなさまを幸せにする一番の近道だと考えています。
<診療に対する考え・その背景>
さて、
ここ10数年で厚生労働省が規定する医師の研修システムは大きく変化しました。具体的には2004年度から、「初期研修制度」といって、全ての医師は、将来的に何科に進むにしても、医師免許を持ったはじめの2年間はいろいろな科を複数回るローテンション研修が義務化され、専門領域に進むのは、医師として3年目以降とすることが義務づけられました。
その影響も多少ありましたが、医師としての私の経歴は少しユニークで、一般の医師のそれとは少し異なっています。
私は幼い頃から、医師として働く父や祖父の背中を見て育ち、いつしか、将来は彼らのような町医者(今にして思えばこれが「地域のかかりつけ医」)になりたいと、ぼんやりと考えるようになっていました。
そして、医師を志し、はじめにぶつかった疑問は
「地域で最も必要とされる『かかりつけ医』とは、一体どんな医師なんだろうか?」
というものでした。
祖父・父の時代から、1人の医師が開業するまでの道のり(研修パターン)というのは、ほぼ決まっていました。
そのパターンとは、
医師国家試験に合格して医師免許を取得後、まず大学病院で数年間研修し、数年ごとに中規模の一般病院をいくつか回り、その後に再度大学病院へ戻って、医学論文を書いて、博士号・専門医資格を取得後に開業する・・・というものです。
しかし、
大学病院を中心に研修すると、高度な専門領域の研修ができるその一方で、選んだ科によっては、専門領域に大きなかたより・バラつきができてしまい、専門外領域の知識・技術・経験に大きなムラができてしてしまう、というジレンマがつきものでした。
たとえば、
特定の臓器・疾患(自分の専門領域)の難しい研究論文をたくさん書いたり、誰もが知るようなスゴい研究をしているのに、ただの風邪の患者さんが目の前に来たら、きちんと診察・治療することができない・・・ようなイメージです。
学生時代からその研修システムのあり方に疑問をもっていた私は、ある時、どこからか耳に入ってきた、海外の医療システムに興味を持ちました。
当時の私にとって衝撃的だったのは、医療保険制度の違いはさておき、『欧米では体調不良があるすべての患者さんは、まず自分のかかりつけの家庭医(ホームドクター:以下、家庭医と略)を受診する』というシステムでした。
年齢・性別・体調不良の種類や部位を問わず、全員です。
小児~妊婦、高齢者まで、おなかが痛かろうと、けがをしようと、皮膚にできものができようと、とにかく、みんな「まずは家庭医から」なんです。
そして、
必要があれば、その家庭医を通して専門医療機関へ紹介される、という医療システムが確立されていて、逆に、自分が希望する専門医療機関を直接受診することはできない、ということでした。
そこではすべての健康問題の窓口がかかりつけの家庭医で、あちらでは、引っ越し後にまず行う作業の一つが、自分とその家族がかかりつけとなる家庭医を決めることだといいます。
この話を聞いて、私はこの海外の家庭医(ホームドクター)なるものが自分が目指すべきものに近いのではないか、と思い始めました。
ある程度自分が進むべき方向が見えてきた時点で、次の問題にぶつかりました。当時は(現在もそうですが、)日本にはその家庭医のシステムはなく、実際は、その地域で開業した各科の専門医師たちが、その家庭医の代役を担っている、という状況でした。
つまり、家庭医になるための研修システム・プログラム自体がなかった(正確には見つけきれなかった)のです。
手に入る少ない情報のなか、なんとか家庭医としての知識・技術を身につけるための方法を必死にさがした結果、具体的に2つの方法にたどり着きました。
1つは家庭医の医療システムが確立されている海外で研修すること。
もう1つは、人的・物的資源が限られた中での離島・僻地医療研修でした。
さすがに、いきなり海外での研修は敷居が高く、どうしたものか迷っていましたが、幸い、私が初期研修をすることになった病院(長崎医療センター)が長崎の複数の離島と連携していたため、離島医療を通じて家庭医療を学ぶことを決意しました。
開業医を目指す若手医師のなかで、離島に飛び出した医師は周囲に誰ひとりおらず、正直、私にとっては一大決心でした。
いざ、離島へ行くと決めると、そこからの研修には自然と気合いが入ります。
たった一人で診療するわけではないと聞かされていても、何が起こるかわからない恐怖から、寝る間を惜しんで必死に勉強し、実戦をイメージしたトレーニングを繰り返します。
長崎医療センターは多くの離島への応援医師を送り出していた実績があり、その研修・教育にも熱心で、指導力に長けた先生方が多かったため、大変充実した研修を送ることができました。
離島というと、たった独りで何でもやらないといけないような場面を想定して(実際にはそんな場面はごく数回)、いざという時に備えて、救急医療を重点的に研修しました。
当時は珍しかったドクターヘリに乗るトレーニングなども受けました。
その後、長崎医療センターからの連携で、長崎県離島医療圏組合・対馬いづはら病院に勤務することになりました。
実際に行ってみると、「Drコトー」のような場所ではなく、対馬のなかでは一番大きな病院(230床ほど)であったため、ある程度は医師の数もそろっていました
・・・が、やはり医療のニーズに対しては実質、医師不足の状態でした。
そこでは、何科の医師であっても、最もニーズが高い内科・小児科診療をするのが前提で、当直は『全科当直』といって、夜に来た患者は、すべてまずは自分独りで診て、必要と思えば各科の専門医を呼び出すスタイルでした。
また、島内で治療困難と判断した重症患者は朝の日照時間を待って、ヘリコプターで本土へ搬送するのですが、ヘリを要請するかどうかもいろいろな先生に相談しながら最終的には自分で判断しなければならず、その判断が遅れると手遅れになることもある、というある意味過酷な状況でした。
経験の浅い若手医師がそこまで判断していいのか・・・と正論を言われる方々もいらっしゃいますが、それが医師不足の離島・僻地の現実なんですね。
正論派の方々は一度、離島か僻地に行かれると現実がわかると思います。
医師でない方にはイメージしにくいかもしれませんが、たとえ、電話で各科の専門医を呼び出せる体制が整っていても、ある程度の規模の病院で、夜中に独りで専門外の患者まで診るという行為は、とても恐ろしいものなんです。
その恐怖は若いうちはもちろん、どんなベテラン医師であっても、自分の診療能力(自分ひとりで自信をもって解決できる守備範囲)を正確に把握して、適切なタイミングで、適切な専門医に自信を持ってお願いができるようになるまでは、ずっとあるものなんですね。逆にその怖さを感じない人が医療行為をすると、危険だとも思います。
対馬では、1人2役~3役は当たり前、といった感じでした。
夜間当直帯の6割以上は小児患者(ほとんど熱発)で、意外に多いのが足をひねった・打撲したといった整形外科患者や、皮疹(じんましんなど)・皮膚のできものなどの皮膚科患者でした。
あまり知られていませんが、
誰もいないところで、独りで医者をやるとほとんど内科患者が来ると思われていますが、実際は違います。
それは各科当直(自分の専門科のみしか診ないスタイル)に慣れた医師の、ただのイメージであって、現実は少し違うんですね。
対馬では今までに出会ったことのないタイプの医師たちとの出会いがありました。
心臓カテーテル検査(本来は循環器内科)もできる整形外科医、胃カメラ~大腸カメラ(本来は消化器内科)までこなす小児科医、本土の消化器内科医よりよっぽど上手におなかの診察をする耳鼻科医や眼科医・・・といったイメージです。
私も当時の肩書きは内科医でしたが、
実際は、通常の一般内科業務に加えて、中耳炎の小児に耳鏡を当て、切り傷を洗って縫って、山奥の僻地診療所へ往診する・・・
といった毎日で、時には緊急手術で全身麻酔をかけたり、手術の助手をしたこともありました。
時には戦場さながらで、バタバタと過ぎていく日々でしたが、
対馬では内科・外科・小児科・産婦人科から整形外科・脳神経外科・耳鼻科・眼科・皮膚科・精神科・老健施設・僻地診療所・在宅往診診療にいたるまで、非常に幅広い領域の医療に携わることができました。
約3年間という短い期間でしたが、
おそらくは通常の医師が経験するであろう数倍の密度で、最も身近な医療である、いわゆるプライマリ・ケア(詳細は「診療科目」を参照)の実際を実践しながら学ぶことができました。
そして、
そんなプライマリ・ケアの最前線といわれる離島医療生活の中で、とても驚かされたことがありました。
離島で平然と1人で2役・3役こなしている医師たちは(それだけでもすごいことなのですが)、それぞれが自分の専門領域をもっており、その専門領域に関しても、完全なエキスパート達でした。
彼らの多くは、数年間の離島勤務後に、奨学金制度を利用して、中央の最先端の研修病院で研修し、その専門領域の高い技術・知識を身につけて離島に戻り、そこでプライマリ・ケアに加えて、質の高い専門医療を実践していたのです。
ある時、当時の上司に言われました。
「患者さんというのは、できれば1人の医者になんでもかんでも、最初から最期まで診てもらいたいと思う・・・その反面、
自分の悪いところに関しては、その領域の専門医に診てもらいたいと思うものなんだ」と。
それを聞いたときは、その言葉の矛盾だけが頭に残り、
正直、そんな無茶を要求されてもなあ・・・と、思っていましたが、
実際の離島診療の中で、幾度となく、そのような場面を目の当たりにし、少しずつ、その上司の言葉の意味が分かりかけていきました。
自分の外来患者さんからも、数回言われました・・・「先生にはいつもよく診てもらってるから言いにくいんだけど、心臓の先生への紹介状を・・・」とかですね。
つまり、
かかりつけ医には「自分の専門領域を越えた幅広い知識・技術・経験とともに、
ある一定の専門領域における高い知識・技術・経験も同時に要求される」
ということに気づかされたんですね。
医師になりたての頃は、地域のかかりつけ医としては、専門領域は他の専門医療機関にまかせて、それ以外の「専門医が診るまでもない領域」だけを診ればよいのではないか、と勝手に勘違いしていましたが、離島医療を通じて行きついた答えは違っていました。
一見矛盾しているように聞こえますが、
『専門を問わず幅広く何でも診れて、
さらにこの領域には絶対的な自信がある、という専門領域を持った医師』
というものが、
医師を志した当初から私の中にあった疑問に対して、私が行き着いた1つの答えでした。
そこで私は、内視鏡(胃カメラ・大腸カメラ)を含む消化器内科領域を自分の専門領域にすると決め、母校の久留米大学病院へ戻り、内視鏡を中心とした専門領域の研修を行いました。
大学では同消化器病センター 内視鏡診療部門の鶴田 修教授をはじめ、周囲の諸先輩方にも恵まれ、短期間で大変充実した研修を行うことができました。
その後、済生会二日市病院に消化器内科医として勤務し、実践・臨床経験を積み、現在に至っています。
二日市の勤務医時代に、当院周辺の患者さん達から、
「家の近くに胃カメラだけじゃなく、大腸カメラや大腸ポリープをとってくれるところがあると助かる」
といったことを聞いていたため、私の専門的な知識・技術・経験がこの地域のみなさまのお役に立てるであろうと考えました。
そこで、内視鏡検査・治療が可能な環境・設備を整え(クリニック新築など)、病院名も「さかい胃腸・内視鏡内科クリニック」へ改名しました。
・・・以上、長くなりましたが、当院の診療理念は「上記のような経緯・私自身の経験・地域医療に対する考え方」が基盤となって作られています。
クリニックレベルで実践可能な「最高水準の内視鏡診療」を通して、新たな地域医療の形(敷居の高くない専門医療機関のイメージ)を示し、
この地域のみなさまを含めた、
当院に関わるすべての方々の人生を豊かにしていきたいと考えています。